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親が亡くなる前後の時系列まとめ

12月に父が胃がんで亡くなった。

享年70歳だった。

色々確執はあったとはいえ、やはり親が亡くなったことは悲しい。

父が亡くなり、バタバタした日々から少し落ち着いたので亡くなる前後を書き記しておく。

父が亡くなる前後の時系列

※人物特定を避けるため、日を変えています。

12月6日、亡くなる4日前に主治医から病状説明があった

話の内容は主に3つ

  1. 春まで父は生きられない。いつ急変するか分からない。
  2. 主治医が12月で変わる。移動になる。
  3. 12月〇日~学会で不在だが、代わりの先生に引継ぎをしている。

今の主治医がとても気に入っていた父、母、妹(次女)にとっては衝撃的な内容だった。

この主治医じゃなかったら、自宅帰宅も出来なかったと思う。

これを聞いた母と妹(次女)は「がっかりした…」

と、その日私に電話をくれた。

12月9日、19時ごろ病院から電話

吐血、下血があり血圧はまだ低下していないが、病院に来るか来ないか?と、連絡あり。

母はすぐに行きたかったが、姪っ子と一緒に住んでいるため、姪っ子が寝るまで様子をみる。

急変したらすぐに連絡をくださいと看護師に母が伝える。

妹(次女)から私に連絡があり、何かあったら深夜でも連絡をくれるよう言った。

再度連絡が来るまで家事をすませ、少し胸騒ぎがしたので、すぐに病院へ行けるよう待機した。

12月10日、0時ごろ病院から再度連絡

この段階で、0時すぎ母は妹(次女)と一緒に病院へ行く。

妹(次女)は自分の子供と姪っ子を残してきたので、2時に上の血圧が110代と確認して、いったん実家へ。

病院には母と、違う階で子供が入院していた妹(三女)が残った。

12月10日3時48分、私の携帯にワンコールあり

父の急変でなかなか寝付けなかったが、0時過ぎに寝て、3時48分に母の携帯からワンコールがあった。

携帯の音を大きくして寝たので、ワンコールでもすぐに目が覚めた。

すぐにかけ直してみると、父が危ないと言った。

「お母さん!今の心拍数は?」

「…心拍数?どれくらい?…40だって!」

「え!!」

「トロ…お父さんに変わるね…」

母が父の耳元に携帯をおくと

「お父さん!!お父さん!!」

私は、泣きながら電話に話しかけた。

しかし、返答はない。

信じられなかった。

こんなに早く亡くなるなんて!!

 

「今からそっちに行くから!!」

私は子供たちを急いで起こし、病院へ向かった。

 

12月10日、4時半ごろ病院へ行く途中、父の訃報を知る

自宅から、病院まで急いでも1時間半はかかる。

「間に合ってくれ!!」

何度も心で叫んだが、こういう時に限って遅い車が前にいた。

「深夜なのに!!」

イライラもしたが、今考えると、父が焦って事故を起こさないようにしてくれたのではないかと思う。

長男に携帯を渡して姉妹でやっているグループLINEをチェックしてもらっていた。

すると、4時半ごろに死亡診断書の事でやりとりがあった。

これを長男から聞いて

「お父さんが死んだんだ!!」

私は、運転をしながら泣いていた…。

 

12月10日、4時16分、父が亡くなる

病院に着いたのは、5時半ごろだった。

母が妹(三女)と個室にいた。

 

父は、ベッドに横たわり穏やかな顔をしていた。

「ねーちゃんに電話をつなげた時、心拍数が70に上がったんだよ」

「全然苦しまず、スーって呼吸しなくなった…」

看護師の妹(三女)がそう言った。

 

私は

「お父さん!!お父さん!!」

父の腕をさすったが、まだ温かかった。

「なんでこんなに早く!!」

私は、人目も気にせず泣いた。

 

親の死に目に会えなかった。

12月に一度も面会に行っていなかった。

親孝行が全然できなかった!

父が亡くなった事が信じられなくて

また目が覚めるのではないかと思って

何度も父の肌を触った…。

 

12月10日、6時半、葬儀屋の車が到着する

1時間、泣きじゃくって、少し落ち着いた後、葬儀屋さんのストレッチャーが個室に来た。

そして、1階に看護師さんと葬儀屋さんと家族でエレベーターを降りて、1階にはみとってくれた医師がいた。

特別な部屋から車へ父を移し、母が葬儀屋さんの車に乗って、私たちは自分の車で後を追った。

(死亡診断書は車に乗る前に葬儀屋さんが確認をして預かってくれた。)

 

病院から葬儀屋さんまで約30キロメートル。

雨と小雪が降る真っ暗だった空が、だんだん明るくなって水色の空に変わっていた。

「悲しい事があっても、朝は来るんだね…」

子供たちと、父の話をしながら葬儀屋に向かった。

 

12月10日、7時半、学校へ欠席連絡

父を和室の家族控室に移し、線香などの準備をしてくれた。

そして、私と妹(次女)は7時半に学校へ連絡をして、父が生前作っていた亡くなった時に連絡する名簿に連絡をした。

その後は、3つの準備を言われた。

  1. 納棺時に着せたい衣服の準備(ズボン、シャツ、スーツ、靴下など)
  2. 納棺時に入れたい物(燃えるもの)
  3. 遺影の写真(思い出の写真も数枚→編集して通夜時に流してくれる)

 

12月10日、8時半~10時、実家や銀行へ

母は妹(次女)の家に車を置いていたので、いったん妹の家に行き車をとって、父の口座から凍結したら下せないので現金を下した。

※後で知ったが、口座が凍結したら現金を下すのは手続きをしないと出来ないが、引き落とし(電気、ガスなど)、年金の給付(お金が口座に入る)ことは死亡しても出来るそうだ。

 

それから私は母と一緒に実家に帰って、父の洋服を選んだ。

お棺に入れるものは、父が大切に庭で育てていた木や葉っぱ、花を切って持っていくことにした。

ここで、やっとコンビニで買ったおにぎりやパンを食べた。

栄養ドリンクも飲んだ。

そして、母と葬儀屋にまた行き、通夜と告別式で食べる弁当や盛皿、飾る花、灯籠はいるか?、香典返し、パスの手配(3万円)などの注文をした。

互助会に入っていたので割引が出来てよかった。

我が家は一般葬60万円をお願いした。

最終的には食事や花、香典返しの数が以外と多くて計120万円だったが、とても迅速に動いてくださる葬儀屋さんで感謝しかない。

 

私は、打ち合わせの途中で子供たちと一緒になぜこんな日に?って感じなのですが、実家の風呂場のドア修理を頼んでいたのでそっちに行きました。

母と妹は葬儀屋さんにいました。

 

12月10日、13時半、出張から帰ってきた夫を迎えに行く

その工事の後、13時半に出張から帰ってくる夫を迎えに行きました。

ちょうど帰ってくる日に父が亡くなったのです。

「あと少しで○○君、帰ってくるな…頑張ったな…」

父が私が大変じゃないように、夫の帰りを待っててくれたのかもしれません。

 

夫と久しぶりの挨拶もままならず、自宅に帰って喪服の準備などをしました。

そして、夫と私で別れて、私はまた葬儀屋に喪服に着替えて行きました。

黒っぽいハンカチがなくて、慌てて途中で買いに行きました。

 

12月10日、15時、納棺

ちょうど移動していたので、見ることはできませんでしたが、さっき用意した洋服を着せていただきました。

父が入るお棺を一番安い6万円でお願いしましたが(父がどうせ燃やすから、これにお金をかけたくない、料理にお金をかけろと遺言あり)

十分きれいなものでした。

葬儀屋に到着すると、沢山の方がきており、私たちはお茶出しをしました。

この間に、通夜に関して詳しい説明もありました。

だけど、悲しいのであまり頭に入らなかったです。

 

12月10日、18時、お通夜

葬儀屋さんが司会を勤めてくれるので、その流れにのれば大丈夫でした。1時間くらい?

通夜が終わった後に、盛皿、オードブルを食べました。

近所の方が受付もしてくれて本当に助かりました。

懐かしい方もたくさん来てくれて嬉しかったです。

また、20時まではお茶出しのスタッフさんもいたのですが、20時以降は帰られるので、その後片付けはしなくていいと言われたのですが、母と私、親戚で片づけをしました。

お茶、焼酎コップを洗ったり、お菓子の残り、オードブルの残りをまとめたり、結構大変でした。

通夜では20時までに帰ったほうが家族は楽です。

 

12月10日、22時ごろ、やっと落ち着く

通夜の片付けも終わり、控室に備え付けの布団の準備をしました。

私は、夕方お風呂に入ってきましたが、母は入っていなかったので、控室のシャワーを促しましたが、朝入ると言いました。

部屋を暗くして、私と母、叔父、叔母4人で寝ました。

子供たちは夫に実家で預かってもらいました。

やっと着替えて横になれましたが、控室では全然寝れませんでした。

母も足がつった!と何度も起きていました。

12月11日4時ごろ夫が交代すると言ってきたので、私は実家に帰りました。

 

葬儀屋さんの近くにコンビニがあるといいですね。

4時ごろ控室の隣にあるロビーで二人で軽く朝食を食べました。

ちょうど、葬儀が我が家だけだったので良かったです。

トイレもすいていたし無料のコーヒーも飲み放題でした。

 

12月11日、8時ごろ、父にありがとうと伝える

夜は言えなかったので、朝、父に今までの感謝を泣きながら伝えました。

9時ごろになると、親戚や知り合いがくるので、家族の最後の時間を大切にした方がいいです。

告別式が終わると、本当に色々と忙しいので、泣く暇がありません。

この時間は私にとって、とても大切な時間となりました。

 

12月11日、10時半 、親戚の写真撮影

この写真撮影の前に告別式の説明や役所での手続き、など書類の手続き説明がありました。

※葬儀屋さんは死亡診断書のカラーコピーも2枚撮ってくださり、本当に色々助かりました。

そして、一番慌てたのが、親族挨拶でした。

私が一応長女なので、葬儀屋さんから挨拶の例文の紙をもらって、妹と一緒にアレンジをして考えました。

 

12月11日、11時、 告別式

無事、挨拶も泣きながら読んで終了しました。

子供たちにもメッセージをみんなで言ってもらいました。

庭の草木も妹が沢山切ってくれて、父に花と一緒にたくさん入れました。

 

12月11日、12時15分、 出棺

親族でバスに乗って火葬場に行きました。

霊柩車には母だけが乗っていきました。

 

12月11日、12時半、 火入れ

火葬場で、お坊さんのお経が読まれ、いよいよ火入れでした。

焼いてしまうと、父の本来の姿が無くなってしまいます。

ここはとてもとても悲しいでした。

 

12月11日、火葬場から一旦、葬儀屋さんに戻り食事

バスで帰ってきて、食事を食べました。

弁当とそうめんでした。

暖かいものを久しぶりに食べた感じでした。

 

12月11日、14時、葬儀屋さんから火葬場へ行き収骨

今度は自分たちの車で火葬場に行きました。

母を乗せるのを忘れそうになり、焦りました…汗。

 

そして、父の焼いた骨を見ました。

ガンだったところ?が茶色に見えました。

次男が怖がらず、最後まで収骨を手伝ってくれました。

 

肉体が骨に変わる。

3歳の姪っ子は骨になった父を見るのが怖くて控室に逃げていきました。

12月11日、15時ごろ、収骨が終わり初七日をすませる

本来ならば、亡くなった7日目に初七日を行うのですが、収骨の後にすませました。

私のように田舎が実家の場合は、初七日をすませてよかったです。

なぜなら、初七日まで通夜や告別式にこれなかった人たちが、沢山実家に来たからです。

お坊さんも1日がかりでした…汗。

12月11日、16時半ごろ、控室を片づけて実家に帰る

控室の荷物を持って帰ります。

我が家は荷物が多く、結構大変でした。

この後、線香や花、祭壇などを葬儀屋さんが実家に持ってきてくれました。

色々お世話になったので、お茶とお気持ち程度のお金(2千円)を最後に渡しました。

12月11日、21時ごろやっと一息して、香典の集計

怒涛の2日間でしたが、やっと終わりました。

この後は、少しゆっくりしてから、香典のお金を母と妹と私で集計しました。

ありがたい事に、香典で殆ど賄えました。

みなさん、ありがとうございます。

 

まとめ

いかがでしたか?

家族が亡くなると、悲しむ間もなく忙しいスケジュールで事が進んでいきます。

時間があったら少しでも休んで、食べて、家族の最後の時間を大切にされてください。

この時系列が誰かのお役に立てれば幸いです。

父が亡くなって2か月…今の気持ちを書いてみた

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